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2019-11

52歳の誕生日に - 2015.02.26 Thu

私事で恐縮ではございますが
本日52歳の誕生日を迎えることが
できました。
沢山のご縁を頂けた事に改めて
感謝の法味を捧げさせて頂きます。

このブログを立ち上げたのが
2011年3月18日。未曾有の大震災から
七日目の事でした。

そして3月30日の一通のお便りを皮切りに
本格的に何かを伝えて行かなければと想い
現在に至っております。

年が明けて12年の初夢に『55』と云う数字と
『伝えなさい。起ちなさい。55までに』と云う言葉と
文章が出てきて目が覚めました。

三度死の淵より戻して頂いた経験の在る私が
思ったのは「次は55歳が人生最大の岐路となるんだ」と
瞬時に理解できたことです。

その時点で後七年。私はこの世界に身を置かせて頂いて
おりますので『南無妙法蓮華経』の七文字にあてはめました。

それより様々な試行錯誤をしながら昨年より介護の世界に
ご縁を頂き、携わる度に私の世界と共通するものが多いことに
気づかされ、天命と思い身を投じる覚悟ができました。

昨年と今年は『妙法』の年に中ります。

一平塾もネットを中心に活動をさせて頂いて参りました。
近隣のご相談者には直接お会いしお話もさせて頂きました。
そして介護の世界にも様々なお悩みをお持ちの方が沢山
おられるのもまた事実です。
利用者様だけでなくその家族、ヘルパーさんも同じです。

その現状を目の当たりにした時に『いまが起ち上がる時』と
強く思った次第です。
寺子屋一平塾を 「非営利団体」 として立上げ、その中に
介護の部門も取入れ多種多様な対応をさせて頂ける事で
貢献させて頂ければと。

課題は沢山ありますが、ご同調して頂ける方々からの
ご志納も募り、皆で支えるひとつの形を造りたいと
思っております。

各地にも出向かせて頂き多くの皆様とお話ができる
機会もできればと思っております。

ご意見など御座いましたらお寄せ戴ければ幸いです。

一日の命は三千界の財にもすぎて候なり

              合掌

十三回忌を迎えて - 2011.06.23 Thu

皆様こんにちは

また私事となりますが

先日の記事にも書きましたが、
今から12年前、私が交通事故に遭い、その後左半身麻痺になり寝たきりになって一週間後の
本日6月23日午前4時頃、母が急逝いたしました。

亡くなる3年前に脳幹梗塞を患い寝たきりとなりましたが、亡くなる数カ月前には自身で座る事が出来るほど回復をしておりました。
母はまるで私の身代わりになるかのように突然逝ってしまいました。

私はその知らせを病院のベッドで聞きましたが、不思議なことに一瞬ベッドより起き上がり数歩歩く事が出来ました。
が、その後すぐに崩れ落ちてしまいました。
絶対安静の身であったために葬儀にもまともに出席出来ず、最後のお別れのみしか行く事が出来ませんでした。

今でもその事については悔やまれてなりません。

母親も運送会社の女将として第一線で働いてきた女性でした。
父(主人)が亡き後は普通に余生を楽しんでおりました。

私は父が亡くなったあと坂道を転がるかのように いわゆる不良という名の道へ堕ちていきました。
ヤクザの世界に憧れ、母親に『俺はヤクザになる』と言った折り、
母は私を引き連れ母親の同級生がやっていた組事務所に連れていき
『コイツ、悪いけど修行さしたってくれ』と言いました。
しかしそこの組長さんに 『親が息子連れてヤクザにしてくれと頼む馬鹿がいるか』 とたしなめられ
御馳走を頂いて帰ってきた・・そんな事もありました。
私、16才の冬でした。

そんな豪傑な母親でした。

早いものであれから12年、本日十三回忌を迎える事となりました。
あらためて母の御霊に感謝をし供養をさせて頂こうと思っております。

『いつまでもあると思うな 親と金』 という諺がありますが 亡くしてからの孝行は出来ません。
どうか親を大切になさって、今ある自身は親のお陰と感謝しつつ出来るだけの孝行をなされて下さい。


最後に祖師の言葉を一節


『心の内に父をあなずり 母をおろそかにする人は 地獄その人の心の内に候』


今夜は供養の後、母が好きだったビールでも飲みながら
吉幾三さんの『雪国』でも口ずさもうかと思っております。

よく居酒屋のカラオケで歌わされましたので(^_^;)




   合  掌


あれから12年 - 2011.06.16 Thu

皆様こんばんは。

先週より俗世の方がやたらと忙しく、ブログをあげる機会を失っておりました。

今日は私にとって人生の大きな転換日となった日でありますので、私自身の事を書かせて頂きます。

平成11年6月7日(月)午前5時30分。
私は交通事故に遭いました。

信号待ちをしている所へ信号を無視した乗用車と私の対向車が衝突をし、その2台の車が私の乗っていたトラックに正面から突っ込んできました。

最初に事故を起こした車の方々は最終的に軽傷でその日のうちに退院されました。
私は事故の衝撃で左手のみが動かない状況でしたが、現場の事故処理と配送する荷物の段取りをするため現場に残っていました。
処理が終わり、その後自身の自家用車で現場近くの病院に行きました。
レントゲンでは骨等に異常は無かったのですが、MRIにて検査をしたところ
首の骨が一か所ヘルニア状態で潰れてしまっていました。
そのまま即入院となりましたが、腕以外どこにも痛みや症状が無かったので軽い気持ちでいました。

ところが、事故から約10日後の本日6月16日の午後6時前頃、トイレに立ち用を足していた時に
左の踵から脳天にかけて電気のような痺れが走ったと同時に、左半身がまったく機能を失い、麻痺状態となってしまいました。

そしてそれから約3年半の入院生活となってしまいました。

今は体内に電池を2台(ペースメーカーのような物)を埋め込んであります。
これが無いと歩く事はもちろん書く事すら出来ない体となってしまいました。
この電池は死ぬまで2年に1度交換し続けなければなりません。
現在私は『頸椎損傷による立ち上がり困難な体幹機能障害2級』となっております。

交通事故とは、やってもやられても辛い思いをするものです。
昨日も高齢者の方の事故で亡くなった方もお見えになります。
どうか皆様もお気をつけになられて下さい。

あれから12年。
何の因果か今だに運転手をしております(^_^;)

ちなみに首のヘルニアは手術が困難なため今もそのままの状態です。
万が一数ミリでも潰れたりすればどこの機能が駄目になるかわからないと言われています。

この6月は私にとって様々な事が起こりました。
しかし、この大きな事が更なる精進をさせるきっかけともなったのは事実です。
今日という日をあらためて思い起こし、日々漸進して行かなければと思っております。

私事を書かさせて頂きましたが、このブログを読んで頂く事で何かを感じ取って頂ければ幸いです。



      合 掌


躾・虐待・教育 - 2011.05.24 Tue

昨夜ニュースでご覧になられた方もおみえになるかと思いますが、

『岡山市北区の無職容疑者(37)の母親が長女(16)を自宅で低体温症で死亡させたとして逮捕監禁致死容疑で逮捕された事件で、長女が「ごめんなさい」と何度も手書きした反省文が自宅から見つかったことが岡山県警への取材で分かった。(毎日新聞)』(氏名割愛)

度々このような事件が報道されます。

それを知るにつれ、非常に心が痛む思いを致します。

このブログをご覧の皆様も、親であったり、また子であったりだと思います。
皆様はこの事件についてどのようにお考えになられるでしょうか。

『躾』とは 身を美しくと書きますが、身を美しくとは一体何なのでしょうか。

よく言われるのが、人様に迷惑をかけず社会の規範に沿った行動が出来るようにする事、とされております。
でもそれは本当の躾でしょうか。

残念ながら、綺麗事ばかりを押しつけ体裁を保つためにしているのが
現代にありがちなの躾の形と言えるのではないでしょうか。

私がいつも申し上げております、
『清濁あわせのむ』という事を教えなければ本当の躾にはならないのだと思います。

『躾』と『教育』は正しく一体のものです。
『教育』をしていく上で自然と『躾』も育っていくものなのです。

その過程においては、時に親として拳を上げなければならない事もあるかもしれません。
しかし、それは愛を持っての拳でなければなりません。
ひとつ間違えば正に『虐待』となってしまいます。
まさに『諸刃の剣』なのです。
我がの子だからと言ってむやみに殴っていいという理由は成り立ちません。

人間は『言葉』という、他には無いコミュニケーションツールというものを持った唯一の生き物なのです。
その言葉には『言霊』が元来備わっている筈なのですが、
現代社会においては、特に若い世代の親は『言霊』よりも『暴力』に走ってしまいがちです。
よく一般に『子供が子供を産み、その子供を育てるから、悲惨な事件が絶えない』
と言われてしまう所以なのでしょう。

今回の事件においても、その娘さんは知的障害を患っていたとの事です。
推測ではありますが、『ごめんなさい』と走り書きされたメモは
彼女の親に対する精一杯の愛を込めた反省の文字だったと思います。

それを見抜けぬ母親は『躾・教育という名のもとに』更なる虐待へと走り、
このような悲惨な結果を招いてしまいました。

逮捕された母親は『躾のため』と供述しているとの事ですが、
これを躾というならば、日本国から子供は一人も居なくなるでしょう。

例えどんな障害を持っていようと、健常であろうと、自身が心に決めて産んだのです。
現在、子に恵まれなく厳しい環境のもとに不妊治療をされている方もおみえになるのです。
授かった命を決して無駄にしないで頂きたいと願うばかりです。


  『子にすぎたる宝なし 子にすぎたる財なし』



     合  掌


鬼子母神

   鬼子母神  (佐賀県日蓮宗修法師会HP「法華経の守護神」より抜粋)






物理学と宗教 - 2011.05.17 Tue

皆様こんばんは。

タイトルは非常に硬く見えるかもしれません。

しかし、しょせん中学出の私が語る事です。
異論もあるかと存じますが、その点はご容赦下さい(^_^;)


本日、物理学者のスティーブン・ホーキング博士(69)が
『天国も死後の世界もない』 と英誌のインタビューで答え、断言したとの事です。

博士は皆様もご存知のように筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患を患っておられますが
物理学の世界ではその名を馳せておられます。


私も僧侶の端くれとして今回の発表には一言意義を唱えたいと思います。


確かに『物理学的』からみれば死後の世界というものは存在しないと唱えるのはわかります。
事実、その世界を証明出来るものはありません。

では、物理学で今の宇宙理論などを完璧に証明できるかと言えば、そうではないのも事実です。
近年までは宇宙についてもある程度わかっているとの事でしたが、
実際はほんの数%くらいしかわかっていないとの発表もありました。

『ビッグバン』に因り宇宙は始まったとの説が大半ではありますが
それも物理学的に証明はなされていないと思います。
また、宇宙は今も広がりつつあると言われておりますが
広がるという事はその外に広がるための空間がなければ
広がるという説明は合点がいきません。


その空間とは一体何なのでしょうか。


宗教ではその空間こそが『死後の世界』と捉えていると思います。


正しく『宗教』も同じなのです。
『物理学的』証明を為す事はできません。

しかし、出来ないから『宗教』が存在するのです。

『物理学者』がすべて意見が一致しているわけではありません。
『宗教』も同じく一つに統合はされておりません。

私のあくまでも持論ではありますが
『物理学』も『宗教』も同じだと思います。
様々な考え方・摂理・倫理・哲学など多種多様に及んでおります。


もし私が博士にお会いでき、お話が出来るものであれば
一言申し上げたい言葉があります。


『 物理により宗教が存在し、宗教により物理が成り立っている イコール 同世界なんですよ 』

と。

そのような事は叶わないと思いますが、

『 宗教の世界観を否定することは、物理学も否定する事と同じなんですよ 』



博士の信奉者にお叱りを受けるかもしれませんね。

でも『信奉者』が存在する事自体が、正しく『宗教』なんですよね(^_^)




    合  掌

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