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2019-10

四十回忌を迎えて『最終章』 - 2016.12.09 Fri

髙旭院法健信士』 こうきょくいん ほうけんしんし
これが父の戒名である

私は現在仏門に身を置かせて頂いているが、
父は私が生まれて約一年後にS学会に入信した
それよりも早く母と私は私が三か月の時に入信

教義は違えど『法華経』と繋がったのである

当初、頑なに拒んでいた父も周りからの奨めで
入信した父であっが、入信後は何かが宿ったかの如く
活動をし勉強をし瞬く間に地域の幹部として指導をする立場になり
朝晩の勤行は絶対に欠かさず、仕事で地方にいっている時は
トラックの中でも必ずお勤めをしていたと聞いていた


自宅に居る際は私を座らせ共に勤行をしていた
お陰で4歳の頃には『方便品・自我偈』暗記できてもいた

父は私にとって「憧れの人」でもあった
中学卒業したら父の助手席に乗り父とともに
運送業を継ぐべく修行したいとも想っていた

これからは『学力も必要だ。高校は行け!』とよく言われたが
「お父さんも中学卒業して働いて運送屋をやったんでしょ?」
私が言えば目を細め笑いながら『血はあらそえんな』

今回四十回忌を迎え、私も病を患ったが『死』に対する恐怖感は
全くと言ってよい程ないのは事実として存在する

改めて『法華経との出会い』をせてくれた父と母には感謝したい

『まずは臨終の事を習うて後に他事を習うべし』
『苦をば苦と悟り楽をば楽とひらき苦楽ともに思いあわせ
 南無妙法蓮華経とうち唱え居させ給え』

『たとい貧なりとも信心強うして深かからんは佛に成らんこと疑いあるべからず』

四十回忌を迎えて 完    合掌











四十回忌を迎えて④ - 2016.12.08 Thu

父の死亡原因が『凍死』となったのは当時の
警察の見解と医学的にも不審な点が見当たらなかったため
もし、司法解剖をしていれば違った見解にもなったであろう

当時母親が警察署に出向いた折には司法解剖の話も出たようだが
母の『死人を切り刻むのか!』一言で中止になったと聞いた
いまなら到底考えられないが・・・

警察が念のため司法解剖をしたかった理由がそこにはあった
父を発見した四男(①では三男と書いてしまった)であったのが
その要因となった

当時四男も独立して運送業やっていたが自損事故にて助手席にいた
見習い若衆を死亡させてしまっていた
その保険等の手続きを父が四男に指導し動いていた
四男は保険会社の事務所に出向く途中で父を発見したが
本来ならその場所は通らない道
であったのと四男が昔ヤンチャをして
何度か警察の御厄介にもなっていたため、父の保険金目当てではないかと
疑われたのである


ただ、酒屋の店主の証言で事なきを得たのである
酒屋が店を閉める午後7時頃にはまだエンジンがかかっていた
しかし午後11時頃エンジン音は聞こえていなかったと

こうして父は『事故死』として処理をされ無言の帰宅となった

明日は最終章として父への想いを書かせて頂きます

                 合掌

四十回忌を迎えて③ - 2016.12.07 Wed

新たな環境での生活で父も暫くは落ちついた
そんな中で父は驚きの計画を発表をした
引っ越し先の近くで3階建ての事務所兼自宅を建てる
既に図面も出来ており後は地主との契約手前まで来ていた

然しそんな中、父はまた酒に溺れてしまい計画は頓挫した
後で考えて見れば正解であったと思う

そして運命の日へと向かって行った

父が見つかった場所は自宅まで後30分程度の距離であった
前日の夕方に連絡が来たときには既にその場所にいたと思われる


その場所は今では繁華な所ではあるが当時は開発途上の地域で
人家も然程多くない場所でもあった
父が見つかった場所も当時は空き地で迎えには酒屋があった
そこで一升瓶を購入しトラックに戻り酒を煽り自身の終焉へと向かっていった

12月でもあり当初はエンジンをかけ暖房を入れていたようだ
それは酒を購入した酒屋の店主も証言をしていたとの事
然し、酔いもまわり暑くなったのであろう、途中でエンジンを止めたようだ
いまとなっては推測でしかないが、おそらくエンジン停止後に劇症肝炎を併発
寒さも加わり死へと繋がったのではないかと思う
本来帰宅後には入院の予定もしていたので可なり体は蝕まれていたと
父が発見された時に一升瓶は空であった


死亡推定時刻は4日午前2時から4時だったと後に知った

本日は此処までとさせて頂きます

寒き折、皆様もご自愛ください。  合掌

四十回忌を迎えて② - 2016.12.06 Tue

父は21歳で一匹狼の運送屋を始めた
最初は苦労したとの話は聞いていたが
当時、善き方とご縁を頂き専属でその会社の
運搬・設置までをやらして頂く事になり一気に好転
売り上げも右肩上がりだったそうだ

仕事量も増え、繁忙期にはトラック3台と若い衆3人
売り上げも当時で月/300万位(現在に換算すると600~800)
上げてたと母より聞いていた

然し、順風満帆もある事故をきっかけに大きく変わった

私が小4の夏、父が七夕飾りの短冊を窓から身を乗り出し
付けていた時、足を滑らせ外へ転落した
怪我的には大した事ではなかったが、その時頭部打った

病院へ若い衆が運び治療、その日の内に帰宅はできた
いま思えば頭部を打ったのが原因ではないかと思う症状が

元々お酒は好きな父であったが、運送屋の社長でもあるため
泥酔するような姿は一度も見たことはなかった
然し、この怪我を境に異様なまでの飲酒をしてしまう時期が出てきた
その為、一年で肝臓を壊し、糖尿までも併発し入院にまで至った


退院し半年程は平常な日々を送り何のきっかけかは不明であったが
また、浴びるように酒を呑み退院から一年後には再入院をするようになった


その内に若い衆もいなくなり最終的には父一人での稼業となってしまった

たまたま、母の実家(借家)が空くとの事で環境を変える意味合いもあったとは
思うが引っ越しをしたのが中1の春であった
学校も変わる事のない場所であったのも大きな要因でもあった

本日は此処までとさせて頂きます

               合掌


四十回忌を迎えて① - 2016.12.05 Mon

昭和五十二年十二月四日(日)午前6時過ぎ
一本の電話がけたたましく鳴った

電話を取ったのは今は亡き母であった
相手は父の弟(三男)からで、母も『どぅしたの?こんなに早く』と
言った後に絶句状態になり、当時中二であった私もただ事ではないと
瞬時に気付いた。
母が『嘘!何で?何処で?』と慌てふためいていた

やり取りは5分もなかったと記憶しているが電話を切った母が
振り向き様に『お父さんが死んだ!』と・・・

一瞬何の事か理解が出来ず『え?』としか返せなかった
何故なら前日の午後4時半頃に父から『明日の昼前には帰るから』
連絡を私が受けていて外出先から戻った母に伝えたからであった

その後母は親戚や関係各方面に連絡をし出した
不思議とここに今は居てはいけない衝動に駆られ知り合いの家へ

母はその後警察署に出向いた

知人宅に着いた時には既に母から連絡が行っており途端に相手は
私を見て泣き出し手を握り『しっかりね!しっかりね!』と何度も言われたが
私は不思議と冷静であった

父が自宅に戻って来たのは午後5時を回っていた
死因は『凍死』で発見時はトラックの中で一升瓶を抱えて
亡くなっていたと後に聞いた

本日はここまでとさせて頂きます

               合掌

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