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2012-05

5月17日(木)の日暦 『宗祖 身延山御入山』 - 2012.05.16 Wed

5月17日(木)の日暦は

婁(ろう)
九紫火星の 中段吉凶は「おさん」 
六曜星では大安で最上大吉日となります

願望成就する大吉日なり
新に衣服を裁ち又は着る時は衣服を増し寿命を保ち新築家屋に移れば子孫繁栄し家屋を造作すれば福を招き結婚すれば善子を産む総て祝事には上々吉日なり

本日は悪しき事のない最上大吉日となっております。
大安でもあり、また中段吉凶におきましても物事を納めるのに良き吉日となっております。
万事において良き日柄となりますので、温めておいた事などがございましたら実行にうつされる事をお勧め致します。



本日は 『日蓮聖人 身延山御入山』 の日となっております。

『立正安国論』を国に提出したのちに様々な法難に遭うこととなった宗祖日蓮聖人は、三度の諌めも退ける幕府に見切りをつけ、自らが歩いて法華経を広めることで国と人々を救おうと考えられました。
そうして漂泊の思いにかられながら身延・波木井(みのぶ・はきい)の地へと旅立たれたのです。

1274年5月17日、身延に着いた聖人を迎えたのは波木井の地頭・南部実長(なんぶさねなが)でした。
実長は鎌倉の地において日蓮聖人の辻説法に出逢い、深く感銘を受けて聖人に帰依していた人物でした。
『生涯をこの地で過ごして頂きたい』
そう願った実長は、聖人のために草庵を建てられました。
以来この身延が日蓮聖人にとっての法華経読誦・門弟教育の場となっていったのです。

日蓮聖人はその生涯を閉じられる際、
いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候 (どの場所で死んだとしても墓は身延につくって下さい)』との御遺言をのこされました。
また 『未来際までも心は身延山にすむべく候 (来世の未来までも永遠に心は身延山に住んでおります)』とも遺されております。
その御遺言どおり、ご遺骨は身延山に奉ぜられ心霊とともに久遠寺の歴第御住職により祀られております。
身延山に宿る聖人の想いにより、久遠寺は今でも日蓮宗の総本山として門下の信仰を集めるところとなっているのです。

しかしながら我が宗派に限らず、日本の仏教界において各宗派の祖師が御入滅されてから既に数百年の歳月が流れる現代となりました。
宗門は受け継がれてはいますが、それぞれの祖師の本当の想いは果たして正しく受け継がれているのか・・
考えると同時にまた、身の引き締まる思いもするものであります。

      
                 合 掌

『身延山にて:日蓮宗教化センターHP(絵で読む日蓮上人のご生涯)より』
身延山ご入山

5月16日(水)の日暦 『旅の日』 - 2012.05.15 Tue

5月16日(水)の日暦は

奎(けい)
八白土星の 中段吉凶は「なる」
六曜星では仏滅ですが吉日となります
此の日は新に衣服を裁つに大吉なり
但し開店又は新築家屋の移転
人の世話事旅立埋葬など大凶なり是れを犯せば不時の出費つづくべし大いに慎むべし

本日は衣服の購入などに良き吉日となります。
しかしながら仏滅ともなっておりますので禁忌事項につきましては出来るだけお避け下さいますようご注意下さい。


本日は 『旅の日』 となっております。

これは、俳人・松尾芭蕉『奥の細道』に旅立った日である事にちなんでいるものです。
松尾芭蕉は江戸時代前期の俳諧師で、日本史上最高の俳人として世界的に知られます。
特にその紀行本『奥の細道』はあまりにも有名といえるでしょう。

『 古池や 蛙とびこむ 水の音 』
『 閑さや 岩にしみいる 蝉の声 』

わずか五七五の文字に集約された言葉は瞬時に目や耳などの五感に訴えかけ、読む者をしてその世界観に容易に至らしめます。
『岩にしみいる』などの表現の斬新さは、時代を超えた今でも新鮮な臨場感となって私達に語りかけてくるものです。

若くして俳諧の道に入った芭蕉が『奥の細道』の旅に出たのは1689年5月16日(旧暦3月27日)の事であったと言われております。
江戸を出発し東北・北陸へと巡ったその旅は、全行程約600里(2400キロメートル)、日数にして約150日間が用されております。
当時の旅は今と違い自動車も電車も無いわけですから、齢45歳の芭蕉がすべての行程を徒歩で廻ったのは容易ではなかったであろうと想像されます。
ある意味『旅の達人』であった彼ですが、その最期の時もやはり旅の途中でありました。

『 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 』 

結果 辞世の句となってしまったその一句を残し、1694年、大阪御堂筋の旅の宿にて芭蕉はその50年の人生に幕を降ろします。
最後まで「旅の俳人」であった彼にとってふさわしいその終焉であったと言えるのではないでしょうか。

さて、これは余談ではありますが、のちに『奥の細道』の行程と日数から割り出した歩くスピードがあまりにも速いため話題となりました。
45歳という当時の年齢からしてみれば、なおさら超人的なものとなります。
更には滞在した各地の日数の不自然さや芭蕉本人が伊賀の出身であるという事実から、 『芭蕉隠密説』『忍者説』がまことしやかに言われたりもしております。
『奥の細道』も紀行本というのは隠れ蓑であって、実は仙台藩の内部を記した報告書であるという見方もあるようです。

真実の程は誰にもわかりませんが、いずれにしましても歴史に残る超人は謎が多かった・・といった所ではないでしょうか。
                

                  合 掌


『芭蕉像(与謝蕪村 画)』
芭蕉像


5月15日(火)の日暦 『沖縄本土復帰記念日』 - 2012.05.14 Mon

5月15日(火)の日暦は

壁(へき)
七赤金星の 中段吉凶は「あやぶ」
六曜星では先負で大吉日となります

大吉日なり
新に衣服を裁ち又は着る時は幸福を得 家を建て又は造作すれば家庭円満にして憂事を除き又埋葬すれば財宝を得て立身し結婚すれば孝子を産むと云ふ総て祝事田畠の買入普請等吉なり

本日は悪しき事の無い大吉日となります。
但し中段吉凶は「あやぶ」となり、雑節では『不成就日』ともなっておりますので多少の注意は必要です。
午後からの行動が運気向上へと繋がります。


 本日は 『沖縄本土復帰記念日』 となっております。

第二次世界大戦後アメリカの統治下にあった沖縄は、1972年5月15日をもって日本に返還されました。
今年はそれからちょうど40年目となります。

沖縄の歴史を遡ると、沖縄の方々がどのような思いで今に至るのかが推し量られ言葉に詰まります。
40年前に日本に返還とはなりましたが、いまだ米軍の基地は存在しております。
現実は何も変わらず本当の変換とは言えない状況ですが、この問題はこと政治的にもなり、また皆様個人個人の意見がおありかと思いますので、これ以上は控えさせて頂こうと思います。


また本日は 『京都 葵祭(あおいまつり)』 の日となっております。

『葵祭』は賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例大祭であります。
『祇園祭』『時代祭』に並ぶ京都三大祭のうちの一つと言われており、その中でも特に平安王朝の風情を今に残す数少ない祭として知られます。

始まりは西暦567年。
国内に吹き荒れる雨風で凶作であったその年、神々の怒りを鎮めるため鈴かけ馬で駆競(かけくらべ)をするなどの例祭を行ったところ、風雨がおさまって五穀が実り国民泰平となったとされております。
それ以来この例祭は国家的行事となりました。
平安時代の頃は単に「祭」と言えばこの葵祭を指すものであったと言われております。

毎年5月15日は、御所車、勅使、供奉者ら総勢500名もの行列が京都御所から下賀茂神社・上賀茂神社までの道のりを巡行しますが、人馬それぞれが「葵の葉」で飾り立てられます。
正式名称の『賀茂祭』がいつしか『葵祭』と呼ばれるようになった由縁です。
その後勅使による御祭文の奏上、御幣物の奉納へと続き、さらには舞人による『あずまあそび』の舞が奉納されます。

平安貴族の姿を当時のそのままに残した風雅な王朝様式が、忘れかけていた大和美を艶やかに京の街に再現します。
日本人なら一度は訪れてみたい祭の一つと言えるのではないでしょうか。

 
                    合 掌
『京都・葵祭』
葵祭






5月14日(月)の日暦 『當麻寺(たいまでら)練供養会式』 - 2012.05.11 Fri

5月14日(月)の日暦は

室(しつ)
六白金星の 中段吉凶は「やぶる」
六曜星では友引で最上吉日となります

最上の吉日なり
祝事婚礼家屋の造作起工式柱立地割均井戸掘り移転建築開業小児の着袴服薬等には大吉なり
但し埋葬又は新に衣服を裁つには大凶なり

連続大悪日を抜け訪れた吉日です。
また本日は『三りんぼう』となっております。
日柄の良し悪しにつきましては諸説ございますが、何事にも留意され充実した1日をお過ごしください。


本日は 『當麻寺 練供養会式(たいまでら ねりくようえしき)』 の日となっております。

當麻寺(当麻寺・たいまでら)は奈良県葛城市にあるお寺です。
その長い歴史の変遷から、高野山真言宗と浄土宗を並列宗派とし、古代の三重塔が東西一対で残る日本唯一の寺としても大変に知られています。
お寺の創建時、ご本尊は弥勒菩薩でしたが、今では『當麻曼荼羅(たいままんだら)』が信仰され御本尊として祀られます。
それには長い歴史の中におけるあるの物語が深く関係してているようです。

天平19年(747年)、観音様に祈願した事で、藤原家にある一人のお姫様がお生まれになりました。
『中将姫』というこのお姫様は幼少4才の頃から観音様を篤く信仰され、お経をそらんじるほどでありました。
わずか5才で母を亡くされ苦労を重ねますが、16才の時、夕陽の中に阿弥陀仏が浮かび上がり極楽浄土の光景が広がるという不思議な体験をなさいます。
そののち中将姫の篤い信仰心は実り、やがて尼僧『法如(ほうにょ)』となられました。

現在お寺のご本尊となっている『當麻曼荼羅(たいままんだら)』は、姫がある尼僧に導かれるがままに蓮の茎を集め、五色に染め上がったもので出来上がったとされてます。
かつて姫が目の当たりにした極楽浄土の光景がそのままにあらわされたその巨大な曼荼羅織物は国宝となり、現在に受け継がれております。

練供養の発祥と言われるこの『當麻寺練供養会式』では、観世音菩薩らが現世に里帰りした中将姫を迎えて極楽へ導く様子を再現する儀式が執り行われます。
1000年もの伝統を持つこの厳かな法会が、現代の私たちに信仰心の何たるかをあらためて問いかけてくるような気が致します。

                 合 掌

『国宝 綴織當麻曼荼羅(つづれおりたいままんだら)奈良県葛城市 當麻寺』
国宝 綴織當麻曼陀羅

                    

5月13日(日)の日暦 『母の日』 - 2012.05.11 Fri

5月13日(日)の日暦は

危(き)
五黄土星の 中段吉凶は「とる」
六曜星では先勝ですが凶日となります

悪日なり
此日結婚又は祝事などに用ゆべからず 又新に衣服を裁ち衣服の着初めなどするときは不慮の災ひに遭ひ又家屋の造作移転などすれば火難に遭ふと云ふ慎むべし

連続大悪日の最終日となります。
午前中の行動により多少の緩和は期待されますがやはり注意は必要となります。
本日も『朝に合掌 ゆうべに感謝』にてお過ごし下さい。


本日は 『母の日』 となっております。

『母の日』は世界中にあります。
ほとんどが5月に集中しているものの、3月や12月など設定日は国によって様々です。
私達は皆、母から生まれたのですから当然と言えば当然なのでしょう。
その存在はしばしばにも、また女性の子宮は宇宙にも例えられたりします。
それだけ『母』というものは誰にとっても偉大なものであると言えるでしょう。

宗祖日蓮上人にとってもまた、その想いは同じでした。
文永元年(1264年)の秋、伊豆流罪を赦されたのち母君の病の報に接した上人は、母君のもとへ飛んで帰り、病床で病気平癒の祈願をなさいました。
すると不思議なことに一度息絶えていた母君が蘇生し、親子二人で喜びに涙したという逸話が残されております。
そしてさらにはその後4ヶ年の寿命を得たという事です。
上人は母君に『妙蓮』という法名を与えられております。
『日蓮』という名は、その母君から一文字をもらい受けたという事からも上人の母に対する想いの大きさというものを知ることが出来ます。

『親孝行 したい時に 親はなし』

良く耳にする言葉ではありますが、まさに真実です。
健在の時には当たり前と思われても、亡くして初めてその偉大さに気付くとは皮肉なものであります。
母君がご健在でいらっしゃる方は、どうぞ1年でたった1日のこの日に、お母様に感謝の気持ちをお伝えになってみて下さい。

そういう私はすでに母を亡くしております。
しかし健在であった頃の母の姿はいつまでも私の中に、若い時のままで生き続けております。
今日は亡き母を想い手を合わせながら、しばし息子の気持ちに帰ってみると致しましょう。

                
              合 掌

『 映画「わが母の記」 』
映画『わが母の記』

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